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江戸時代の人々はどんな暮らしをしていた?

生活リズムはお日様次第

江戸初期は日の出とともに起き、日の入りで就寝

当時、「油一升、米三升」といわれたように、灯りをとる菜種油は米の約3倍もするほど高価なものでした。そのため、日の出(明け六つ)に起き、日の入り(暮れ六つ)に寝る生活だった

引用:過眠症ランド 睡眠を考える

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引用:お江戸の化学

この暮らしぶりを見ると現代とさほど大きくは変わらないように見えます。6時に起きて7時に出勤。江戸時代の前期と後期では就寝時間は違いがあるようです。図が示す通り行灯などの灯りが普及した後期になると日の入りで就寝というわけではなさそうですよね。それでもお日様の光は何よりの灯りだったのでしょう。

そもそも時刻制度からして現代と違う「不定時法」

不定時法とは、夜明けから日暮れまでの時間を6等分する時間法で、 江戸時代 以前に使われてきた時間概念です

引用:日本の時刻史ー刻の歴史ー

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引用:SEIKOミュージアム

不定時法では季節によって時間が変わったということですね。なんだかややこしいですがころころ変わる時刻を江戸時代の人はどうやって知ったのでしょうか。

時計を持たなかった庶民はお寺などで打つ「時の鐘」で時刻を知った

江戸の最初の時の鐘は、通称『石町(こくちょう)の時の鐘』で、日本橋に近い本石町(ほんこくちょう)(現在の中央区日本橋室町三丁目)に鐘楼があって、1日に12回時報を打っていました。

引用:小江戸っ子

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引用:上越写真連盟

街の各所に鐘楼やお寺があり、鐘を鳴らしていたんですね。これならどこでもだれでも時刻がわかります。大店の商人たちは日時計を使う人もいたとか。お日様の動きによって時刻が変わる不定時法では日時計が理に適っているといえますよね。

これは現代の「アレ」? 江戸時代の色々な道具

江戸時代のテーブル「折敷」

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引用:buyee永平寺 古根来 隅切 折敷 角切 盆 天然木 本漆塗 江戸時代

脚のついていないお盆のようなものを「折敷」、脚付きは「お膳」、小物入れがついた箱型のものは「箱膳」と呼ばれました。一つのテーブルをみんなで囲む習慣は外国から入ってきたもので普及するのは明治以降になります。

江戸時代のシステムキッチン「流しとへっつい」

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引用:クリナップ

現代のキッチンワークは立ってするのが普通。でも江戸時代はお勝手仕事を座って行ったんです。写真を見ると畳の床が流しやへっつい近くまで来ています。これは畳部分に座って作業するのを想定したもの。狭い家を上手に使う工夫だったのかもしれません。

江戸時代の保温釜「お櫃と飯櫃入れ」

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引用:落語「壷算」の舞台を行

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引用:福山市神辺歴史民俗資料館

朝炊いた炊き立てご飯をお櫃に入れます。ここまでは旅館などでもよく目にする光景ですが、冬はさらに藁で編んだ飯櫃入れにお櫃ごといれて保温するのです。

夏にはご飯が腐らないように専用の竹かごに入れて軒下などの涼しい場所につるして保存しました。

傘と雨合羽「蓑笠」

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引用:私、水廻舎学人です

ヒーター兼用コンロ、「長火鉢」

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引用:Japan World

火鉢の中に銅壷(どうこ)が入れてあり、ここで湯を沸かし燗をつけたり、五徳(ごとく)を入れて鉄瓶をかけ、いつでも湯が足りるようにしていました。また引き出しは乾燥器として海苔や煙草を入れておきました

引用:http://www.rakugo.or.jp/hibachi-ohitsu.html

寒い冬はこの周りから動かなくなっちゃいそうですね。まして小物入れがついて身の回りの必要なものが入っているとなればずっとここに座っていたくなってしまうかも。これは現代でも使ってみたい道具です。

明るさはイマイチだった庶民の照明「行灯」

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引用:第51回・企画展「昔の灯りと暖を取る道具」

江戸時代のアイロン、「火のし」

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引用:発見館日誌

江戸時代にアイロンがあったとはちょっと驚きです!この丸い部分に炭を入れて熱~くして使ったそうです。

外出時に使う道具たち

江戸時代のホッカイロ?「懐炉」「温石」

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引用:豊富郷土資料館のブログ

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引用:千葉県教育振興財団 文化財センター

温石(写真下)は江戸初期から中期にかけての道具で、火の中に入れて熱々に熱した石を布でくるみ、懐に入れたり湯たんぽのように布団の中に入れて使いました。中期以降になると専用の炭を灰にして専用ケースに入れた灰式懐炉が普及し、寒い時期は懐に入れて外出しました。まさに現代の使い捨てカイロのようですね!

趣向を凝らしたティッシュケース「紙入れ」

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引用:日経ビジネス

江戸時代は職人の以降を凝らした様々な袋物が出回っていました。この袋物の柄や趣向でお洒落を競うことも多かったのです。写真の紙入れは鼻をかんだり化粧を直したりする紙を入れて携帯する紙入れで鏡がついているものもありました。まさに現代のテッシュケースですよね。

様々な形があったおしゃれアイテム「煙草入れ」

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引用:台東区 江戸袋物づくり

煙草入れも紙入れと同じく人々のおしゃれアイテムでした。付属しているのはキセル入れ。帯の下方に挟み込んで携帯し、滑り落ちないように帯の上部に根付を出して持ち歩きました。

とってもエコな循環型社会

ほとんどゴミを出さずすべて土に返す

江戸時代、稲の副産物である藁(わら)は徹底して使われリサイクルされました。草履、草鞋、蓑(みの)、馬に蹄鉄はもったいないので藁を履かせていました。藁の履物はすり減りますが用済みになった藁は捨てるのはもったいないから集めて肥料にするのです。

引用:かつて日本は美しかった

着物も擦り切れたところが見えないように何度も仕立て直し、さらには袖を切ってベストのような形にし、それでも使えなくなると下駄の鼻緒や赤ちゃんのおむつに。最後は燃やして灰を肥料にしたというから徹底しています。

紙類のリサイクルは非常に発達していた

各種の古紙を集めてブレンドし、ちり紙から下級印刷用紙まで、様々な再生紙に漉き返すことができたのです

引用:江戸時代のリサイクル

着物にしても紙類にしても街には専門のリサイクル業者がいました。町に落ちている紙くずを拾って業者に持ちこみ、お小遣い稼ぎをする人もいたんだとか。町中がきれいだったというのも納得です。

分厚いていねいな装丁の本の表紙の芯には再生紙を使っていることがわかった。(中略)薄手の表紙に真っ黒な紙を芯に使っている本を何冊か見つけた。子どもが手習いの練習をして、墨で真っ黒になった古紙を原料として漉き返した紙らしい。

引用:のらのら

こうした古紙も最後には後には落とし紙のようなトイレットペーパーやちり紙になって、肥溜めで溶けていきます。その肥えも大切な肥料で買い取り業者がいましたし、ゴミは灰にして肥料業者が回収しました。

使えるものは修繕・修理で徹底的に使う

文政11年に記された『塵塚談』によれば、「寛政2年頃までは、江戸では焼継が知られていなかったが、京都にはその頃から焼継があった。近頃は、江戸で焼継商売をする者が非常に多くなり、このため瀬戸物屋の商いが減ったと言うほどである」と記されています

引用:新宿区 第2回焼継ぎ

様々な修繕職人が街を歩いていた

金属製品修理の「いかけ屋」、割れてしまった陶磁器を修理する瀬戸物の「焼き接ぎ屋」、木製の桶や樽の箍(たが)を修理する「箍屋」、包丁などの刃物を研ぐ「研ぎ屋」など

引用:MICエコ豆知識

焼き継ぎ屋や金継ぎ屋、下駄の入れに鏡研ぎに刃物研ぎ。街にはありとあらゆるリサイクル職人が大活躍していたのです。結果、江戸でゴミと呼ばれるものはほとんど出ませんでした。

江戸時代の人はどんなものを食べていたの?

都市部は白米、農村部は雑穀など

都市部庶民の食事

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引用:江戸ガイド

少ないおかずと白米でお腹を満たしました。白米は一人一日五合食べたんだとか!栄養の偏りから「脚気」という病気も流行しました。

農民の食事

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引用:赤髭公はるばろす。の戦国武将夜話

農民は雑穀に様々な野菜くずを入れたもの、「かて飯」と呼ばれるものを主に食べていました。なんだか風邪をひいた時に食べたくなる食事ですね。

江戸時代の流行もの

男女それぞれおしゃれ事情

男性のエクステ、メイクも当たり前

まず、江戸初期には庶民の間でヒゲが男たちの先端的ファッションとして流行。ヒゲの薄い江戸っ子は墨でヒゲを描いたり、懸髭と呼ばれる髪のヒゲを付けたり、涙ぐましい努力をしていたのだとか。

引用:Menjoy

江戸時代以降の頃には、男湯限定で常備されていた「毛きり石」という主にふんどしからはみ出る尻毛を除くための軽石で、男たちはすね毛などの濃い体毛もこれで除毛していたそうです。

引用:DREAM Salon Tokyo

なんだか現代の男性よりも大変そうですね。武士と庶民では流行も違ったのでしょうが、江戸時代はなかなかみんな「キレイ系男子」だったようです。

モテるのは「遊び人風 優男」

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引用:kimono akinai 江戸時代の男性の服装

「モテる」が生まれた遊郭では、端正な顔をしていて、話が巧みだったり、芸事ができたり……そんな男性が人気だったそう。雰囲気で言えば、「色白の優男(やさおとこ)風」

引用:excite.ニュース 歴史にみる「モテる男性」のタイプ

モテ男子は女性に追いかけられて困ってる風を装うのがお決まりだったんだとか。どのくらい女性に嫉妬されるかでモテ度を判定されたというからすさまじいですね。ちなみに当時伝説になるくらいのモテ男は「女性に無理心中をされかけて助かった男」だったそうです。命がいくつあっても足りません。

男女共通のファッションリーダーは歌舞伎役者

江戸時代のファッション・リーダーは誰だったかというと、歌舞伎役者、町火消し、遊女、芸者といったところだ。とりわけ、大きな影響力をもっていたのが、歌舞伎役者である。

引用:江戸散歩

歌舞伎役者は今でいう芸能人。良くも悪くも注目の的です。男性も女性もこぞって服装を真似たというのだから、現代の芸能人より大きな影響を与えていたのではないでしょうか。

意外と”だらしない”着付けが主流

江戸娘の着物の着方というのは、現代の着物の着方とは全く違っていた。かなり無造作であり、「ぞろり」としていたのである。それがまた、現代の和装と違った、自然なセクシーさだったのであり、多くの現代人がほとんど知らないことである。

引用:江戸娘のおしゃれ

現代でもちょっとだらしない色っぽさを表現するのに使う「しどけない」という言葉は、このころの「仕度気ない(したくげない)」(きちんと身なりを整えていない様)からきています。江戸時代は色っぽい女性がモテたんですね。

櫛や簪を買うのが女性のちょっとした楽しみ

江戸元文年間,歩いたり,ちょっと頭を動かしただけでヒラヒラと揺れて光ったり,音がしたりするぴらぴらかんざしが登場した。この発想の転換は大当たり,大流行をした。

引用:http://www4.airnet.ne.jp/sakura/yosooi/yosooi_1.html

時代劇などでも、たまのお暇をもらった女中たちが新しい簪を買いに出て、仲間とはしゃぐ姿が描かれたりしていますね。どの時代も女性の楽しみはショッピング、それもキラキラ小物には目がないようです。

江戸では粋、上方では雅こそ至上

粋の定義はこざっぱりして洗練されている様

女性に対して、取り澄ましたような気取った色気ではなく、極めて洗練された美しさを伴なう色気が必要、男性では、町人ふうの、渋くあっさりさっぱりして、気前が良く嫌味じゃない気質をさしているようです。

引用:臥竜塾 粋

雅とは本来宮廷風である様

都会的な文化と密着し,都会人の繊細で鋭敏な感受性によって見出された,上品で優雅な,知的に洗練された情趣美であって,粗暴,やぼ,無知などに背反する。

引用:コトバンク 雅

「粋」と「雅」。よく考えてみれば全く違うものですよね。そういえば現代でも、シンプルでスマートな東京のファッション傾向と、ゴージャスできらびやかな大阪風のファッション傾向に江戸と上方のおしゃれの真髄を感じます。

江戸時代に流行った文化は?

江戸時代に発展した町人文化は「化政文化」と呼ばれる

政治・社会の出来事や日常の生活を風刺する川柳が流行。また、文学では、庶民生活を面白おかしく描いた、滑稽な作り話が好まれた。版画では、多彩な色彩を表現できる技術が向上し、そのような技術で作られた版画は錦絵と呼ばれた

参照:wikipedia 化政文化

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引用:JNP 広重 相撲

化政文化はそれまであまりなかった庶民の娯楽が一気に花開いた文化でした。泰平の世の中が長く続き、人々の暮らしが安定していたからこその文化です。

歌舞伎は町人のお楽しみ

庶民たちが熱狂する江戸時代最強の娯楽「歌舞伎」。あまりの人気にキャラクターグッズや流行ファッションが生まれました。

引用:謎解き 江戸のススメ

政治や世間を揶揄するような俳句も庶民の息抜き

俳句は江戸時代には俳諧と呼ばれていました。この俳諧という言葉は、もとは「こっけい」・「おもしろ味」といった意味で、室町時代から江戸時代にかけてさかんに作られた連歌で使われていたものです。江戸時代には広く庶民にも俳諧の文化が流行しました。

参照:日本文化いろは辞典 俳句

お上に直接抗議することはできなくても、世論をチクリと風刺して川柳に読んだり物語を作る。直接的な表現を嫌う「粋」の感性がこんなところにも感じられます。江戸時代はそれまでの「勉強のための読物」から一変した「娯楽のための読物」が台頭した時代でもありました。

江戸時代の雰囲気を物語る写真たち

床屋の様子

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引用:エンタメウス

髪結いの二人、顔がそっくり!兄弟でしょうか。

飛脚

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引用:DNA

さすが体力勝負の飛脚。バネのありそうな体つきです。こんな人々が市中を行き交っていたのでしょう。しかし目のやり場に困りそう。

商家の娘たち

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引用:江戸時代 小袖の変換

姉妹でしょうか。暮らしぶりに余裕が感じられます。一様に商人の暮らし向きはよかったとされています。

お茶とおしゃべりを楽しむ女性

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引用:江戸時代campus

この写真にも暮らしぶりの豊かさと和気あいあいの優しい雰囲気がにじんでいますね。茶屋で茶とお菓子とともにおしゃべりに興じるのは、人々の娯楽の一つでもあったようです。