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目次
江戸時代の生活を写真で見てみよう
江戸時代の風景
江戸、大名屋敷の長屋門
長屋門には門番の部屋、家臣の詰め所などがあった
長屋門は江戸時代の大名の住居形態で、母屋の周りに長屋を建て、そこを家臣の住居にしていました。屋敷をぐるりと囲む長屋の一部を開き、門としたんですね。写真は大名と家臣が世間話をしながらぶらぶら散歩しているといった風情でしょうか。
江戸時代の町並み
引用:屋根セイバーズブログ
燃えない瓦で防火対策をしていた
大岡越前守は「町火消48組(いろは組)」を作り、防火に優れた蔵造り、塗り屋、瓦屋根、蛎殻屋根を奨励しました。
引用:教えてgoo
写真を眺めると「いらか~の波と 雲の波~♪」というこいのぼりの歌を思い出しますね。これだけ住宅が密集していれば火の気には敏感にならざるを得ません。しかも現代とは違い全て木造ですから、火の回り方もあっという間だったのでしょう。
宿場街道をゆく駕籠
広く整備された道の両側に商店や宿が並んでいます。
小田原城近くの宿場町
引用:東京漂流 byひかちん
こちらを向いてポーズをとっているのでしょうか。やや緊張した面持ちでかしこまっています。一番緊張しているらしい武士や、棒手振りの物売り、左の笑顔の人は職人でしょうか。それぞれの服装の違いや、町の活気がわかる写真です。
人々の日常
食事風景
江戸時代のテーブル、膳(折敷)に乗せて食事をとっています。商人のようですが一緒に食べずに、奥方(おそらく)がつきっきりで給仕をしているのでしょうか。お銚子を持っているのにご飯を食べているところを見ると写真用にポーズをとっているものと思われます。
農作業にいそしむ人々
引用:新しい農のかたち
脱穀した米の細かいごみを取り除く作業中。背後には薪や藁が屋根付きの納屋のようなところに保管されているのがわかります。
食事の支度をする女性たち
引用:enjoy korea
武士の家庭の食事の支度の様子です。使用人とともに奥方も御膳を整えています。
おしゃべりやお芝居などで生活をたのしむ庶民たち
若い商人の談笑
今でいう商店組合の若旦那衆でしょうか。商いの話というより、暇にあかしてよもやま話といった風情。小町娘の噂話でもしていそうですね。
茶屋で夕涼みする女性たち
写真技術はいつごろ日本に入ってきたのか
日本に銀板写真技術が入ってきたのは1841年
日本へのカメラの伝来は1841年にオランダ船によってもたらされました。このダゲレオタイプカメラは島津藩の御用商人であった上野俊之丞が購入し、島津藩主の島津斉彬に献上し撮影されました。
引用:http://contest.japias.jp/tqj2003/60460/rekisi.htm#7
タゲレオタイプの写真は撮影にかかる時間、費用などがとても高く、準備がとても大変だったため日本ではあまり普及しませんでした。
1862年に日本で最初の写真館が開業
上野 彦馬は蘭書から湿板写真術を知り、同僚の堀江鍬次郎らとともに蘭書を頼りにその技術を習得、化学の視点から写真術の研究を深め写真家であるピエール・ロシエにも学んだ。
さまざまな困難を乗り越え彦馬は、写真技術の習得に取り組み、日本で最初の写真館を長崎に開きました。
引用:産業能率大学 上野彦馬
最初にオランダ船でカメラが日本にもたらされてからなんと21年!以後日本では爆発的に写真が広まっていきました。
上野彦馬の肖像写真
引用:幕末ガイド
シャッターを切るのに何分かかった?
湿板写真の露光時間は5秒~15秒
1851年にイギリスのフレデリック・スコット・アーチャーが発明した。感度が高く露光時間が5秒から15秒と短いこと、ダゲレオタイプと比較できないほど安価だったことなどから短い期間でダゲレオタイプやカロタイプを駆逐した
江戸時代の人々
美しい女性たち
江良加代
出典:ひすとりびあ
このお方は京都祇園で当代一と言われた芸妓の江良加代さん。桂小五郎(木戸孝允)の恋人だったが桂の死後、伊藤博文に言い寄られるも簡単に袖にしたことで有名だとか。浮世絵の美人画にも描かれる有名人です。
楠本高子
出典:幕末ガイド
すっと切れ長の目元が涼やかな美女、楠本高子さん。医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの孫娘です。なんとこのお方、「銀河鉄道999」に出てくる美女メーテルのモデルだそうですよ。お母さんは日本初の産科女医、楠本イネさん。
島津斉彬の三人の姫
引用:いちさんまるZのブログ
島津斉彬が撮影したといわれる三人の姫、左から典姫(のりひめ)、暐姫(てるひめ)、寧姫(やすひめ)。
日本人婦人かささん
引用:幕末ガイド
この写真の題名は「かささん」。ほかに詳細はありませんが芸妓さんでしょうか。眉のりりしい意志の強そうな美人ですね。
花魁・太夫
花魁は吉原遊郭の位の高い遊女
妹分である禿や新造が「おいらの所の姉さん」と呼んだのが語源とされる。花魁は江戸の大スターで、庶民は浮世絵(うきよえ)を見るだけの 雲の上の存在で、実際に遊ぶ事などめったに出来る物ではなかった。
引用:江戸の暮らし
遊女とは一線を画す花魁。彼女たちと懇意になるには何度も宴の場を設けなくてはならず、やっと「なじみの客」扱いを受けるころには現代の価値で数千万円が消えていったそうです。
正装した花魁
引用:野山の散策
正禿を連れた花魁
引用:まあぶぶづけでも
高さのあるぽっくりを履いて歩く花魁道中。自分を大きく華やかな人物に見せ、高嶺の花を演出するにはぽっくりは欠かせない履物だったのです。
太夫(たゆう)
引用:瑠璃色Tradition
太夫は芸妓の最高位で正五位の位を持っていた
太夫は京都島原の妓女の最高位のことで、『位の名称』です。太夫は「こったい」さんとも呼ばれます。
引用:yahoo知恵袋
遊女の最高位が花魁なら、芸妓の最高位は太夫でした。琴、三味、踊りなど芸事に精通し高い教養の持ち主。立派な職業婦人といったところ。もちろん体を売ることはありません。
フェリーチェ・ベアトの写真たち
ベアトは1863年から21年間横浜で暮らした写真家
ベアトは当時東アジアで数多くの記録写真を撮影しており、日本ではほとんどの西洋人が立入りを許されなかったような場所での撮影を許可された。色付けされた武士や遊女、芸者の写真は、ありのままの姿をとらえていると評価を受けた
ベアトは写真に水彩を施すという形で着色しました。江戸時代の庶民や暮らしぶりを非常に生き生きと伝える写真として、芸術的にも高い評価を受けています。ベアトの撮影した美しい写真たちをご覧ください。
床屋さん
引用:JJオーナーブログ
当時の髪結いといわれる商売です。月代も髭も剃ってすっきりさっぱりですね。
眠るわが子を見守る女性
引用:パンドラの憂鬱
おそらくポーズをとって撮影したとは思いますが、いつの時代も母は変わらないと思わせてくれる日常写真ですね。お母さんがホッとできる時間でしょうか。
お茶の時間
今にもにぎやかなおしゃべりが聞こえてきそう。江戸時代の商家で様々な年代の女性たちが火を囲んでおしゃべりしています。
着色された武士の写真
手彩色写真はこの時代の流行となったが、ベアトのそれはとりわけ精細な着色が施されており、ほとんど芸術作品である。
ベアトが残した最期の武士写真
1866年幕末の武士
引用:武蔵が斬る
ものすごい気迫でこちらをにらむ老武士。現代の私たちにも彼に全く隙が無いのがわかります。
1860年代薩摩藩士会議
引用:DNA
何やら地図を広げて会議中の若い薩摩藩士。彼らはこの後、大きな時代の波に飲み込まれていくのでしょう。
挨拶を交わす武士
引用:劇訳表示
引用:劇訳表示
「では拙者はこれにて。」「例の件、しかと承ったでござる。」とかなんとか言っているのでしょうか。律儀な感じが何とも日本人らしい写真です。
甲冑をつけた武士
引用:Mail Online
着色されたとたん、時代劇か遠い過去のものだった武士という存在がリアルによみがえってきます。一人ひとりが物語を抱え、確かにその時代を生きた人間なのだと改めて思い知らせてくれる写真ですね。
1865年ごろ
詳しい人物は分かりませんが、現在の写真スタジオのようなところで撮影された写真でしょうか。少し緊張した面持ちですが、やはり武士の気迫のようなものを感じます。